書家の金澤翔子「風神雷神」「大哉心乎」がすごい!手を合わせる方も

「風神雷神」「大哉心乎」 たまたま開いた雑誌に、力強い文字が。書家「金澤翔子」さんの作品でした。
金澤翔子さんはダウン症がありながら、母で書家である金澤泰子さんとともに活躍。最近では一人暮らしなど自立しつつあるそう。

プロフィールをみたら、多くの神社や寺社などに揮毫(きごう)。そして、NHK大河「平清盛」で題字を担当。・・・有名な人なのに、私が知らなかっただけ?と思いつつ、なんだか作品がとても印象深く、気に入ったのでとりあげてみます。

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作品は、最後に載せてる、金澤翔子さんのオフィシャルサイトに出てますので、そちらもみてくださいね。

「風神雷神」

翔子さんは、「風神や風の神様で、雷神は雷の神様をイメージしました」と話しています。

この書をみたとき、「風神雷神図屏風」のイメージと通じてる感じがしました。力強い、動いてきそうな迫力!構図も似てるし、てっきり私は、絵をみて書かれた作品だと思ってたのです。

それが、翔子さんは書く前は一度も絵を見てなかった上、もう一度書いてほしいと頼まれても、絵を見たあとでは同じようには書けなかったのだそう。
最初のイメージ、集中は、そのときならでは、ということなのでしょうか?? 不思議ですよね。

「大哉心乎」

「大いなるかな心や<天空の高さは極まりないが、心はその高さを超えることができる>」栄西禅師が残した言葉だそう。

作品では、パッと見、迫力ある文字の中に、空間があるところが目につく感じ。四つの文字のうち、心が高い位置にあるのが印象的です。・・・私、書にはほぼ無関心な人なので、こんな感想で申し訳ないですが、そんな私にもインパクトある作品なんです。

それが、記事によれば、実は「心」の文字はバランスが悪くなって失敗と思ったものの、書き直す時間もなく出展したのだそう。
あれれ??そいじゃ、私の感動はどうしましょ・・と思ったら。

書が展示されると、手を合わせる僧侶がおられたそうで、
その方によれば、ここでの「心」は、仏心(仏の命)のことを指すそう。
書の「心」の下の空白部分に、その僧侶は仏を感じ、手を合わせておられたということのようなのです。

そこって、そんな意味が・・・! すごいびっくりしましたが、書いた翔子さん自身もおそらくはそんなことを思って書いたわけではないでしょうし。
でも、全力で書いた作品という結果が、そのパワーを持っていた、ということなのでしょう。

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みんなの前で書いている時は緊張しない

翔子さんの個展は、生前のお父様の言葉「翔子は字がうまいから、20歳になったら個展をやろう」がきっかけだったそうです。一度きりのつもりが、好評となり、10年で200回以上の個展になったのだとか。

海外も含め、活躍されてる翔子さんですが、一番の思い出の書は「夢」だそう。
はじめて大判紙に挑んだ作品だそうで、2013年に東京国体の開会式で5万人のお客さんが見守る中で書いたそう。

これについての翔子さんのコメントが
「みんなの前で書いている時は緊張しないです。緊張しているのはお母様です。」

わぁ!これだからいいのかもね。

ちなみに、そのときの大筆は、墨をつけると25キロにもなるそう。小柄な体ですごい・・・

作品づくりは

翔子さんは、どの文字を書くか、どの紙を使うかを自分で決められないそうで、そこはお母さんとの二人三脚できてるよう。そのため、お母さんはあえて、翔子さんのことを「書家」ではなく、「ダウン症の書家」と呼ぶそうです。

・・・うーん、私は作品を目にするほうが先だったし、「書家」でいいように思います。文字や紙の選択は大切な要素とは思うのですが、協力者を得て作品を生み出すことに違和感はないし、むしろ、普通のような気がします。
ただ、たしかに、ダウン症も翔子さんの作品を形作る一要素だと思います。多くの人が関心をもったり、障害をもつ方にとって、元気が出るきっかけを、と願うと、やはり、ダウン症の書家、としたほうがいいのかもしれませんね。

それにしてもびっくりしたのは、翔子さんは、作品は通常、練習せずに書いているそう・・・!
提出期限の関係や、本番でないと力を発揮できないのかも、とのお母さんの見方も書かれてましたが。

その本番一回に全力を出してるんですね!!

母親の苦悩

記事中、もうひとつ、印象に残ったことが。
それは、ダウン症の子どもをもった母親の気持ちが率直に述べられてたところ。

翔子さんは生まれた後、ダウン症とわかり、敗血症もあって、交換輸血で助かったそう。

喜ぶ父親をみて、母の泰子さんの思いは、
”ばかなことをしてくれた、ダウン症の翔子の将来を悲観して、翔子と一緒に死のうと思っていた” と。

父親は誇りをもち、明るく育ててくれたそうですが、実はその父親自身も苦しんでいたことを泰子さんが知ったのは、後のことだそうです。

その後も、遠くの特別支援学級のある学校に移るよういわれた泰子さんは、翔子さんを学校に行くのをやめさせ、かわりに般若心経の写経をさせたそう。
”自分のやるせない気持ちを癒やすために、翔子は私が一人で苦しんでいたのを知っていたから、一緒に付き合ってくれました。”と話しておられます。

これについては、いろんな意見があるかとは思います。当時よりも現在のほうが学校の環境が恵まれているのかどうか、それも悩むところです。
しかし、模索しながら、共に歩んでこられたのだと思うと、なにより、お母さん自身が自分の気持ちに正直に向かい合ってる印象を受けるところに、私は心うたれました。

だって、障害がなくてもですよ、親の側の哀しみや怒り、苦しさを、子どものため、みたいにすり替えてしまってる自分に嫌気がさすこと、私は多いです。なかなかできることじゃないと思います。

信じてやらせてみること

昨年、翔子さんは30歳となり、一人暮らしを始めたそう。
翔子さん自身の希望によるもので、母親とは約束事が。片付け、寝る時間を守る、やせる。
お部屋は、好きなピンク色の家具に囲まれているそう。

でも、これは準備も大変だったよう。部屋は長年親子を応援した方が、大家さんを説得してくれて借りられたそう。
家を借りるって、すごく大変なんですよね・・・
何かあったら?っていうのが、常についてまわる。障害がある方にはよりハードルが高いようです。

でも、いろんな苦労を乗り越えてこられた泰子さんが、記事の最後で、
「信じてやらせてみると思いがけない力が出てきます」とのメッセージも。実感とともに語られ、温かいと思いました。

金澤翔子さんの作品や金澤泰子さんの著書等は、オフィシャルサイトに載っていました。
特に、翔子さんの作品をいろいろみれたのがうれしい・・・私は、「月光」という作品もとっても気に入りました。心の支えになりそうな言葉もたくさんありましたよ。
また、全国各地での展示や揮毫(きごう)の予定もたくさんのってました。近くに来られる機会があればぜひ。

金澤翔子ホームページhttp://www.k-shoko.org/

参考 週刊エコノミスト 2016.8.23号

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